犬が歳を取ったことに気がつきました。いつかお別れする日がくるとわかっていたのに、いつのまにかその日が近づいていることに胸がざわざわしました。生まれて初めて自分で飼った犬。その存在の大きさに今さらながら気づかされます。
今も雨音を聞きながら、老犬はいつもの場所でいつも通りすやすやと眠っています。茶色い毛がいつのまにか真っ白になって、眉毛も白くなって、老犬らしい顔つきになりました。寝ているときに舌がぺろりと出ているのを見ると、老犬って可愛いなぁと思わずにんまりしてしまいます。可愛らしい老犬との穏やかな時間がながれます。
一緒に過ごした十数年、本当にいろいろなことがありました。入学、卒業、転職、引っ越し、出張、残業、兄弟げんか、反抗期、不登校、誕生日、クリスマス、お正月、節分、結婚、誕生、死、別れ……家族の思い出の中にいつも犬がいました。朝のひととき、ごはんどき、お風呂上がり、就寝前、まいにちのおつかい、夕暮れの庭、なんてことはない日々の暮らしの中にも犬がいて、家族というひとつのまぁるい輪の中にいつもちょこんと犬がいました。
家族の中でいちばん犬と一緒に過ごした時間が長い私にとって、犬はいちばんの相談相手でもありました。うれしいこと、たのしいこと、つらいこと、かなしいこと、おこっていること、くるしいこと、いつもこっそり話します。すると老犬は今でもフンフンと言いながら話を聞いてくれます。もしかするとうんざりしているのかもしれないけど、そんなこと微塵も感じさせずに「フンフン、どうしたの?」「フンフン、それはたいへんだったね」「フンフン、それは嫌だったね」「フンフン、そんなこと気にすることないよ」フンフン、フンフン。
きっと家族のひとりひとりが、この小さな老犬に同じように「ねぇねぇ聞いてよ」とひそひそ話をしているはずです。そのたびに犬は「フンフン、どうしたの?」と聞いてくれるのです。ときにはモフモフの毛で、ときには可愛らしいしっぽで癒してくれていたことでしょう。
おわかれのとき、きみは「またね!」と言って全速力で走っていくでしょう。犬らしく耳を後ろに倒して、しっぽをブルンブルンと振って、嬉しそうに舌を出して後ろも振り向かずに走っていくでしょう。飼い主の私はきっと泣いてしまうと思うけど、きみは犬だから最後は犬らしく全速力で駆けていってほしいと思います。
家族の誰よりも先に旅立っていく老犬を見送ることは寂しいけど、きみがくれたあったかくて、もふもふしていて、ふわふわの思い出はいつまでも家族の心に残ります。そうして私たちは家族の思い出をまたひとつずつ重ねながら、明日を生きていくのです。